マチダマチコの人生サバイブ日記

発達障害のマチダマチコ女史が人生を乗り切る様を書いたブログ

親を恨むかどうかということ

発達障害という診断を先月(26歳)受けたわけですが、その時の感情は

「あー、やっぱりな」といったものでした。

24歳で就職して、仕事を通して「あ、自分これはやばいな」と感じ、色々と調べ、

「自分は発達障害かもしれない」と思っていたからだと思います。

ある程度心の準備ができていたんでしょうね。

まぁ、それに引き換え、親は心の準備なんかできないわけですよね。

五体満足で生まれ、特に問題があるようには見えていなかったんですから。

それが、就職した娘が泣きながら「発達障害かもしれない」と打ち明けてくるんだから、人生って何が起きるかよく分からないねぇ(他人事)。

 

発達障害の診断が下りた日、病院には一人で行きました。

(初診時のみ父と一緒に行きましたが、診察室に一緒に入ったりはせず、完全に付添いでした)

で、医師から「発達障害です」と言われ、カウンセリングを受け、薬を処方されて帰宅。「発達障害だってさー」と親には簡単に報告。

我ながらドライな女である。

 

ある日母と二人で話している時に、発達障害の話になりまして。

発達障害って分かって不安だった?心細かった?一緒に病院行けなくてごめんね。」と謝られて。

「別にある程度覚悟はしてたし平気だよ、それに仕事あったでしょ。」と返答。

やはりドライな女である。(2回目)

母親からは特に反応が無かった気がする。

 

そしてまたある日、母親から「発達障害って分かって、お母さんたちのこと恨んでる?」と聞かれました。

この質問に対して、「別に恨んでないよ。恨んだところで別に健常者になれるわけじゃないし。申し訳ないと思うんだったら、病院行く時の交通費と診察費出してくれればいいよ」と言いました。

ドライな女だなぁ、本当に。(3回目)

 

自分の中で気になってたんです。母親から「恨んでる?」って聞かれたことが。母親としては「恨んでる」って言われた方がすっきりしたんじゃないですかね、知らんけども。多分、親が期待してた言葉はこれだった気がする。(親に直接聞いたわけじゃないから知らないよ。私の勝手な推測。)

「障害者を産んでしまった母親」として責任を感じているんだと思いますし、その気持ちはよく分かる。結婚したこともなければ、出産したこともないけど。

あと、たまにいますよね。「発達障害は神様から与えられたプレゼント!」とかって言う人。あれもあれですごいなと思います。

私は、親を恨みもしなければ、発達障害をありがたくも思わない。なんだろう、諦めてるというか、受け入れてるというか。親にブチ切れたところでどうにもならない。むしろ私は、「何をやってもミスばかりで上手くいかない自分」の理由を知ることができてほっとした気がする。もちろん、障害ってことにもダメージは受けたけど。

 

発達障害 親 恨む」とかで検索したら、やっぱりいるんですよね。「発達障害と診断されました。どうしても親を恨んでしまいます。どうすればいいですか?」とかって悩んでる人が。これに対して「親を恨むのはお門違いです」とかって言ってる人がいて、顔がゆがみましたが。「事情も知らないくせに、勝手に人様の感情に蓋しようとしてるんじゃねぇよ」と思いました。

 

思春期に自分自身が発達障害って分かってたら、ひょっとしたらすごい勢いで親を恨んでいたかもしれない。「どうして他の子と一緒じゃないの?」みたいな。

また、「恨んでない」と言いつつ、しばらくしたら私は親をすごい勢いで恨むかもしれない。それはもう分からん。

人の感情は変わるものなんだから、その時その時落ち着くところに当てはめていけばいい気がする。考えるなって言われたって考えちゃうし、感情なんてセーブしようと思ってもなかなかできないもん。嫌いな人間はどうしたって嫌いだし。

 

なんか頭の中が良く整理できてないから、また変な文章を書いてしまった。でも言いたいことは言えた気がするー。

おやすみなさい。